前回まで、私がオーソモレキュラーを有用と考える理由を述べましたが、だからといって、私はオーソモレキュラーを手放しで称賛しているわけではありません。

 

その理由は、オーソモレキュラーが基本的には栄養素医学であるという点です。

オーソモレキュラーは、からだのなかの不足している分子(栄養素)を最適化するという考え方ですが、言うまでもなく不足している栄養素をすべて挙げることは不可能です。

また、人間の体内の代謝は、きわめて複雑で、精妙なバランスの上に成り立っています。科学でわかっている部分は、まだまだ限られています。

どんな精緻な代謝経路図を作成したとしても、全体の見取り図を描けているわけではありません。

ですので、ある状況において正しいと思われる介入(例えば栄養素、サプリメントの摂取)が、必ずしも予期していた効果を示さないことがありますし、別の望ましくない作用を示すこともあります。

このように、栄養素は、代謝の“コンテクスト(文脈)”次第でどのようにも働きうるのです。

ですが、そのことを最初からすべて見通すのは困難です。

このような足りない栄養素を補うという要素還元主義的、要素介入的な発想は、西洋近代科学の思考様式と同じものです。

ですので、オーソモレキュラーは、主流派医学から異端にみえたとしても、やはり西洋近代医学の伝統のなかに位置づけられるものです。

全体を要素に還元し、要素を取り除いたり、補充したりするという要素還元主義的なアプローチは、実際臨床では有用ですし、必要な部分もありますが、よりマクロな視点、ホリスティックな視点を意識しておかないと、いずれ治療の袋小路に陥るのではないかという恐れがあります。

もちろん、オーソモレキュラーは、代謝の流れ、相互関係、全体を捉えていこうとする奥の深い試みですし、オーソモレキュラーの歴史は、治療のブレイクスルーをいかに見出すかという奮闘の歴史でもあります。

ですので、私の危惧は、実践上というよりは哲学的、原理的なものかもしれません。

ただ、西洋近代的思考の綻びが至るところにみられる現在、何らかのパラダイムシフトが必要なのではないか、と思う面もあるのです。

 

以上、3回にわたって、私がオーソモレキュラーをどのようにみているかについて述べさせていただきました。

分かりづらい点、説明足らずな点などがあるかと思いますが、ご容赦ください。

 

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